社会関係資本

中国では(というか日本以外のほとんどのアジアの国では)偽物をつかまされるのは当たり前で、それをチェックする社会的コストは非常に大きい。こういう信頼関係をsocial capitalとよび、労働生産性の低い日本がそれなりにやっていけるのは、こうした「社会関係資本」の蓄積が厚いからだともいわれている。しかしソーシャル・キャピタルと社会の多様性にはトレードオフがあって、イタリアのように南北で分断されている国や、アメリカのような多民族国家では、無条件の信頼は成立しないので、「ワンさん」のように事前にチェックしてがっちり契約を結ばないと危ない。

私の印象では、1990年代あたりを境にして、日本でもソーシャル・キャピタルが崩壊し始めたような気がする。これは「市場原理主義」が悪いのではなく、社会が成熟し、多様化するにつれて避けられない現象だ。「日本の古きよき伝統が破壊される」とかいって移民の受け入れに反対する向きも多いが、そんな「日本ブランド」はもう内部崩壊しているのだから、みんな嘘つきだという前提で制度設計をやり直さなければならない。

池田信夫ブログより