負けかた上手の時代
レジデント初期研修用資料より
恐らくは「大きく勝つ」のが得意な人と、「なるべく小さく負ける」ことが得意な人とがいて、それぞれに求められる能力は、根本的に異なっている。
「勝ちの流れ」を引きずって今まで来た業界には、「負けの上手」がいない。
これからしばらくのあいだ、どこかにいる「負けの上手」は、業界の国境をまたいで、様々な「負け戦」の指揮を求められる、そんな時代が続く気がする。
大学医局のこと
自分が研修期間を終えた頃には、医師というものは、大学に残って「上」を目指すのが当たり前みたいな空気がまだあって、自分みたいな、最初から民間病院に就職する人間は珍しかったし、そういう連中ですら、同期のほとんどは、自分も含めて、やっぱり大学医局の門を叩いた。
医局に入った最初、「今はみんなが大学医局に戻って来たがるから、ここに居られるのはせいぜい3 ヶ月だよ」なんて、当時の医局長に宣言された。
3ヶ月は結局1 年になり、3年になり、その時医局にいた上の先生がたをはじめ、医局の顔ぶれはほとんど変わらないままだった。
大学に残る人の数も減った。ローテーション研修制度が始まって、たしかに大学は、研修制度の充実に後れを取って、研修医は大学から離れたけれど、大学から人が離れて、忙しい科から人が離れて、どこかに行った研修医は、どこにも行き場所なんてないはずなのに、どこかに行ったまま、ほとんど誰も戻ってこなかった。
たかだか7 年間ぐらいの経過。
何が起きているのか、研修医の人達も自分達も、恐らくはもっと上の先生がたも、どうしてこんな流れになったのか、誰も把握していないし、この状況にどう対処をすればいいのか、やっぱりまだ、誰にも分からないのだと思う。
勝ち戦の上手
恐らくは医療という業界は、ごく最近に至るまで、それでもずっと「勝って」いたんだろうと思う。業界全体が「勝って」いるときには、多分より大きく勝てる人が支持される。
勝ち戦の上手は、受け入れやすい、きれいなスローガンを掲げて、堂々とした身なりをして、威厳のあるしゃべりかたをする。将軍の下にはたくさんの人が集まって、一つの目標に向かって突き進んで、戦果は挙がる。
「一か八か」的なやりかたは、むしろ好まれる。犠牲はもちろん出るけれど、流れが勝っているときには、みんな自分が負ける可能性を低く見積もるから、士気は下がらない。
流れはだんだんと変化して、研修医が個人として刑事告発されるようになったり、「味方」であったはずの、同業の医師が、誰か別の医師を「刺す」ようになったり、勝ちの流れは実感しにくくなって、「勝ち戦の上手」が発する言葉は、響かなくなった。
「大きく勝つ」やりかたを逆にしたところで、「小さく負ける」ことはできない。
負け戦というものが考えられなかった自分達の業界には、だから上手に負けられる人が少なくて、恐らくは今でも、いろんな現場で、「大きく勝つ」やりかたで、小さく負けることが要求されて、板挟みになった現場からは、結果として人がいなくなる。
いい医療を行って、研究をして業績を上げれば、そこはいい病院になる。いい医師になりたかったならば、 いい病院の門を叩く必要があって、「いい医師になりたい」という願いは、もちろん誰もが持っているはずだから、 いい病院を作る努力を続けていれば、そこにはもちろん、研修医が集まってくる。
状況が「勝って」いたとき、恐らくはこんな考えかたで、「いい病院」が作られて、考えかたそれ自体、やっぱりどこにも間違った場所は見つからない。間違っていないから、これで上手くいっていたから、「勝ち戦の上手」は、やっぱり今までのやりかたを繰り返す以外の選択が取れなくて、「いい病院」を目指して、みんな今まで以上に努力して、結果として現場には、今まで以上に人がいなくなっていく。
大学病院は、残念ながら今「負けて」いるけれど、一方で「勝って」いる民間病院もまた、「攻めて」いる意識なんてないだろうし、民間の人達にしたところで、どうして自分達が「勝って」いるのか、本当のところは分からないんだろうと思う。
逆風の中で小さく負ける
最近まで「勝って」いた業界、医療もそうだし、マスメディアだとか、大きな企業の人達なんかもまた、「勝ちかた」しか知らない人達が、負け戦の風に晒されて、これから迷走続けるんだろうと思う。
たぶん「上手な負けかた」というものがある。
報酬は、その意味を減じる。「勝ったらこれだけ」なんて成果を示すよりも、むしろ「負けても最低限ここまで」みたいな、「負け続けた先にあるもの」を、見通しよく、具体的に提示できた人に支持が集まる。
報酬をいくら増やしても、救急を回す医師が足りない現状を変化させるのは難しいけれど、たとえば「一晩に20人見たら問答無用で寝ていい」だとか、「トラブルに陥ったら病院として責任を取る」だとか、ワーストケースに具体的な条件を提示する施設がでてきたら、状況変わると思う。
負け上手は、恐らくは「よさ」を否定する。
逆風吹いてる中、「いい病院」みたいな、曖昧できれいな考えかたの中で業務を行うのは疲れる。予算なくて、早期退院のプレッシャーばっかり高まる中、病院の理念は「患者様にずっと安心できる場所を提供する」だったりすると、現場が理念を裏切らない限り、現場は回らなくなってしまう。
きれいな理念の下では、そこで働く全ての医師は「悪人」になる。「うちは営利目的だから、お金にならない患者さんは切り捨てろ」だとか、「上」の理念が「よさ」を否定する限りにおいて、医師は逆風の中でも「善人」でいられて、そういう考えかたをする人の下には、むしろ「よさ」を志向する医師が集まる気がする。
「勝ち」と「負け」、両方の局面が混在する業界においては、原理的に、「歴戦の臆病者」は生き残るけれど、「歴戦の勇士」はどこかで負けて、存在できない。
逆風の中で、負けを最小限に抑えながら「次」を伺う、そんな状況を生き延びてきた臆病者のやりかたというのが、これからたぶん、いろんな業界で求められるのだろうと思う。