シュンペーターの逆説

池田信夫ブログより

今週のASCII.jpにも書いたが、朝日新聞が初の赤字に転落したのは、業界にはけっこう衝撃的なニュースだったようだ。これは欧米ではすでに起こっていることで、遅かれ早かれ避けられない。日本では再販制度で守られてきたぶん、独占利潤の崩壊が遅れただけだ。

では新聞サイトで購読料モデルが成り立つかというと、Economistのような高級紙(誌)かポルノサイト以外は無理だろう。広告モデルも、Facebookでさえ赤字だ。"Groundswell"にも書かれているように、Web2.0は既存企業を補完するビジネスで、それ自体で黒字になることはむずかしい。今どき『情報革命バブルの崩壊』とかいう恥ずかしいタイトルの本を出す評論家もいるが、そんなことはとっくにわかっている。問題は、そこから先の「情報が無料に近づいてゆくウェブで、ビジネスは成り立つのか」ということだ。

実は、これは資本主義はじまって以来の難問である。資本が蓄積されるにつれて収穫は逓減するので、利潤率は傾向的に低下するとマルクスは予言した。完全競争市場では正の利潤が上がっているかぎり新規参入が続き、均衡状態で利潤はゼロになるので、一定の独占を維持しないと利潤は枯渇し、イノベーションが止まって資本主義は崩壊する、とシュンペーターは予言した。

これは理論的には正しいが、実証研究の結果はその逆を示している。競争的な市場ほど、イノベーションは活発になるのだ。映画会社の著作権ががっちり守られているハリウッドでは半世紀以上ほとんど新規参入がないが、特許も著作権もない金融商品やウェブでは急速なイノベーションが起こった。これは経済学でシュンペーターの逆説としてよく知られている。

この問題はいまだに解決していないが、今のところもっとも正解に近いのは、Knightの答だろう。彼はリスクテイキングの報酬が集計的には負であることを認めた上で、企業活動をギャンブルにたとえた。重要なのは社会全体の客観的リターンではなく、個々の企業家が主観的にどう考えるかだ。人々が客観的な統計だけをもとに行動するなら、ラスベガスのカジノは成り立たない。それが繁栄しているのは、人々が「自分だけはもうかる」と錯覚するからだ。

社会全体では、おそらくrisk loverよりrisk averterのほうが多いだろうが、そういう人はサラリーマンになるので関係ない。企業活動を行なう人は必ずリスク愛好的なバイアスをもっているので、こうしたギャンブラーがいかに金を使うかで投資水準は決まる。事後的には集計的な利潤はマイナスであっても、事前にはだれも結果はわからないので、ギャンブルに勝ったときの期待収益が高い市場ほどイノベーションは大きくなる。そして100社のうち1社グーグルが出てくれば、あとの99社は(社会にとっては)つぶれてもかまわないのだ。

だから著作権という名の独占レントがないとコンテンツ産業が成り立たないという利権団体の主張は、ナンセンスである。イノベーションにとって重要なのは、事後的な報酬の確実性ではなく、事前の自由度の大きさだから、情報の2次利用をさまたげる「知的財産権」の過剰保護は経済全体にマイナスだ。広告や購読料以外に、LinkedInのような新しい発想もある。いま必要なのは既存のコンテンツを守ることではなく、情報の共有を前提にしてビジネスを成立させる新しいビジネスモデルの実験である。