直接金融という神話

今週のEconomist誌は、今回の問題が「資本主義の全面的危機だ」といった批判に反論し、派生証券の特殊性を規制当局が十分理解していなかったことが原因だとのべている。私の感想もまじえてメモしておく:

 マルクスをもじっていえば、いま投資銀行は鎖以外に得るものをもたない。世界中で「新自由主義」が終わったという大合唱が始まっているが、投資銀行が規制されていなかったというのは神話である。それは四半期ごとにSECに提出される膨大なファイルを見ただけでも明らかだ。問題は、その規制が今回のような事態を想定していなかったことであり、これは市場の失敗というより規制の失敗である。

 大恐慌のさなかの1933年に、グラス=スティーガル法が成立した。これは銀行が証券業を兼営していたために株式の暴落が銀行の破綻をまねいたという認識にもとづいて、両者を分離するものだった。これは銀行のリスクは預金者に転嫁できないが証券のリスクは自己責任だという基準によるものだ。証券会社を「投資銀行」とよぶまぎらわしい名称も、このときできた。

 金融業界を大きく変えたのは、1970年代の変動為替相場への移行だった。為替リスクは非常に大きいため、これをヘッジするため証券化して取引する先物やオプションの市場ができ、ブラック=ショールズ公式によって経済学がその理論的基礎を与えた。また変動相場制にともなって資本の自由化が進み、先進国では1日に数十兆ドルの資金が国境を越えて電子決済されるようになった。ここでも大きなリスクが発生するため、金利スワップなどリスクを分散する市場が発展した。

 金融技術革新の最後に登場したのがCDSだった。その残高は、2001年に初めて取引されてから、わずか7年で62兆ドル(想定元本)にも達した。こうした金融商品の特徴は、利鞘の部分だけを決済するだけでその数十倍の原資産を取引できることだ。したがって原資産の市場が安定して値動きが少ないときは、高い利鞘を求めてリスクの高い資産に投資が集中する。しかしこれは、市場が均衡から大きく乖離したとき、パニックによって悪い均衡に落ち込むリスクをもたらす。

 こうした金融技術の発達は、銀行と証券の区別を事実上なくしてしまった。預金も含めてすべての金融商品はオプションの一種と考えることができるので、両者を区別する意味はない。金融技術革新の先頭に立っていたイギリスでは、1986年に「ビッグバン」によって銀行と証券の規制を統合し、1997年にFSAがイングランド銀行の銀行規制機能を吸収して統一的な規制機関になった。アメリカも1999年にグラス=スティーガル法を廃止した。

 だが依然として、信用創造によってtight-couplingされ、多数の小口預金者を債権者とする(したがって破産処理できない)間接金融と、少数の自己責任を負う投資家を債権者とする直接金融を区別する発想が当局に残っている。リーマン・ブラザーズの破産を米政府が放置した判断は、こうした伝統的な金融規制の発想にもとづくものだった(これは1997年に山一証券に対して、大蔵省の長野証券局長が「仲介業者は自己責任で処理する」とのべたのと同じだ)。

 しかし銀行が証券会社に似てきたように、証券会社も銀行に似てきたのだ。リーマンの保有していた派生証券には全世界の膨大な投資家が関係し、彼らのほとんどは証券の中身を知らない。これを破産処理するとfire-sale priceになるため、1930年代と同じような取り付けが全世界で発生した。信用創造している銀行は、全預金者が一挙に引き出すと必ずつぶれるので、パニックはself-fulfillingなナッシュ均衡になってしまう。派生証券によって行なわれていた事実上の信用創造が破壊されたため、インターバンクでさえ取り付けが起きた。

 最大のリスクをつくりだしたのは、投資銀行ではなく政治家である。米議会は1977年に「地域再投資法」を成立させ、低所得層の住宅保有を促進するためファニー・メイとフレディ・マックをつくった。これが過大なリスクをとって損失を政府に保証させるモラル・ハザードを広範に引き起こし、2000年代のグリーンスパンによる過剰な金融緩和が住宅バブルを生み出したのである。

大規模な危機は、だれも(特に政府が)気づかなかった基本的な変化によって生じる。1930年代に起こった預金者のパニックがそれまでの予想を超えたものだったように、今回のパニックの一因は、直接金融と呼ばれているものがもはや銀行預金と変わらない情報の非対称性を抱えており、その処理が銀行の破綻と同じく禁止的に膨大なrenegotiationを引き起こすことに対して、規制当局の警戒感が足りなかったことにある。

この意味で、日本政府が米政府の「教師」としてふるまえる余地はあまりない。日本のバブル崩壊後の金融危機アメリカのS&Lと同じように単純な問題で、無能な大蔵官僚が2〜3年ですむ処理を先送りして、10年以上に拡大してしまっただけだからである。しかし米議会事務局の報告書もいうように、重要なのは透明性とスピードだという日本の教訓は米政府も認識している。

結果論だが、今ごろ7000億ドルも政府資金を投入するぐらいなら、リーマンを政府の補助金つきでバークレイズに買収させておけば、納税者の正味の負担は数十億ドルですんだかもしれない。一部の専門家のいうように、アメリカの裁判所による破産処理は迅速で政府の介入より効率的だ(今回のリーマンの処理がそれを示した)としても、bankruptcyという言葉に人々は反応するのだ。逆の意味で感情的な反応を引き起こすbailoutという言葉もやめたほうがいい。

池田信夫ブログより